能登半島 和倉温泉

2日目

寝たか寝ないか 旅の宿では毎度のこと(笑)
6時起床! 朝の露天風呂も最高でした〜〜♪

 
お風呂上りにロービーや部屋の入り口をパチリ♪


朝食は8時 これまた御馳走でした〜〜!

宿を9時出発

 
3月25日午前9時42分ごろ北陸地方を中心に強い地震があり、
石川県の七尾市、輪島市、穴水町で震度6強を観測した。
震源地は能登半島沖で輪島市の南西約30キロ、
震源の深さは約11キロ。規模はマグニチュード(M)6・9と推定される。
震度6強以上の揺れを記録したのは、04年10月の新潟県中越地震の震度7以来。

その爪あとは2ヶ月近く経った今でも深く残されています。
今でも時折体に感じる地震あり、普及工事もなかなか進まないようです・・・。


 
輪島朝市見学に来ました
駅長さん人形が出迎えてくれますよ〜♪


震災で壊れてしまった家の前でテントを張ってお店を出していました・・・TVでも放映されていましたね。



何故ここに「真実の口」が〜? 不思議に思いながらポーズしてます(笑)

 
何かな〜。。。と思ってじっと見たら。。。鉛筆削りでした〜(笑)  交番も能登のイメージで♪

 
バスから見てると 家々の屋根や母屋が崩れているところが多く 仮設住宅で生活をされている人たちも・・・

向かったところは 総持寺(そうじじ)祖院参拝
正しくは諸嶽山総持寺祖院と言います。
 
元亨元年(1321年)に開創された曹洞宗大本山で、
その翌年には後醍醐天皇により勅願所として「曹洞賜紫出世第一の道場」と定められました。

 
境内には70余の伽藍堂宇が建立され、往時は全国に末寺1万6千余を数えたが、
明治31年、火災により七堂伽藍の大部分を焼失。
これを機に布教伝道の中心は神奈川県鶴見に移され、ここは祖院となりました。
現在も、周囲の古木と調和した威厳あるたたずまいを見せ、元本山の風格を漂わせています。

 

 
”座禅堂”写真では分かりにくいですが 地震で全体が傾いてしまっているんです
だからロープが張られ 入ることは出来ません

 
お庭のツツジを眺めながら 中へ案内していただきました

 
所々の壁も落ちてしまっています

 
永平寺にもある”すりこぎ”

 
”しゃもじ”もあるのはこの寺だけです

 


襖四枚(山岡鉄舟書)
鐵樹(てつじゅ) 枝を抽んじ(えだをぬきんじ) 石樹(せきじゅ) 花を開らく(はなをひらく)

 
天井が落ちそうなので 柱で支えてあります


大きく傾いた扉 閉める事も触ることも出来ません




渡り廊下もヒビが入っています。

 
左 伝燈院                右 納骨堂


見てください、地震によって大屋根が横屋にめり込んでいます
下の写真の大屋根の両側がこういう状態です。
側屋が無ければ崩れ落ちていたことでしょう・・・。




ヒビが入った白壁が悲惨さを物語っていますね・・・


修復に懸命な家々です


山崩れがあったようです。 バスもゆっくりゆっくり通りました・・・







頑張れ能登半島!!

次は能登金剛(のとこんごう)


昼食も盛り沢山!!

 
30分の自由時間があるということで、名所である”巌門”を見に谷を下りました


 
小さな滝だけど ちゃんとお地蔵様も祀られていました


能登半島国定公園を代表する景勝地・巌門は、波の侵食によってできた洞窟で、
幅6m、高さ15m、奥行が60mあり、大自然が作りあげた芸術をみせてくれます。


勿論入りますよ〜〜〜

 
その前に。。。軽やかに岩を渡った仲間の一人
ポーズをとりながら写真を要求。。。しかし・・・波が・・・


あ〜〜〜!!と声をかける間もなくザブ〜〜ン!!
靴もズボンもびしょ濡れ〜〜〜(>_<)  でも、周りは大笑いでした(^^ゞ

 
グチュグチュになった靴を振りながら ブツブツ文句言いながら観光の続き(^o^)
ちょっとヤクザな兄さんだけど 面白い人だったわ〜〜(笑)

 
あら・・・洞穴から出たら・・・ここが入り口だったのね〜〜〜(笑)


お店で見つけた鮫の顎〜〜〜!


いい景色でしょ〜〜〜。。。海風が強かったけど気持ちよかったわ〜


あ・・・人が海に向かって歩いてる・・・波にさらわれないでよ〜〜〜(^_^;)


みんなで渡れば叶うかな。。。


頑丈な造りですね〜〜


松本清張の推理小説「ゼロの焦点」のロケーション(昭和36年)を記念して、
氏の歌碑が建てられています。



みんなで記念写真
来年も行こうね〜〜って誘われてます〜〜〜(笑)