おはようございます〜〜♪(笑)
笑顔のお目覚めと美味しい朝食で〜す
しっとりとした中庭も素敵でしょ〜
梅が咲く庭には水琴窟もありました
加茂川です
この飛び石。。。渡りたくなっちゃいますよね〜。。。うふ♪
お宿の全景をパチリ♪ 傍には左大文字が見えるところです
「大文字焼き」という名前で全国に広く知られていると思います。
正確には「大文字焼き」ではなく「五山の送り火」と呼びます。
五山の送り火とはお盆に行われる京都の伝統行事で、
京都を囲む5つの山にそれぞれ「大文字」「左大文字」「船形」「鳥居形」「妙法」の形に火をともすというものです。
五つの山に5種類の送り火を焚くところから「五山の送り火」と呼ばれるようになりました。
さて、いよいよ『金閣寺』へ到着です
入り口でありがたいお札を頂くことができました
『金閣 鹿苑寺』
お釈迦様のお骨をまつった舎利殿(シャリデン)「金閣」が特に有名なため、金閣寺とよばれていますが、
正しくは「鹿苑寺(ロクオンジ)」と言い、臨済宗相國寺派の禅寺です。(1994年、世界文化遺産に登録されました。)
大勢の観光客を押しのけ(笑) お願いして撮っていただきました
一周しながら説明しましょう
二層と三層は、漆(ウルシ)の上から純金の箔が張ってあり、
屋根は椹(サワラ)の薄い板を何枚も重ねた柿葺(コケラブキ)で、
上には中国でめでたい鳥といわれる鳳凰(ホウオウ)が輝いています。
一層は寝殿造(シンデンヅクリ)で法水院(ホッスイイン)、二層は武家造(ブケヅクリ)で潮音洞(チョウオンドウ)とよばれています。
三層は、中国風の禅宗仏殿造で究竟頂(クッキョウチョウ)とよばれ、
三つの様式を見事に調和させた室町時代の代表的な建物と言えます。
昭和62年(1987)秋、漆の塗替えや金箔の張替え、更に天井画と義満像の復元を行いました。
池の中にも金色に輝く鯉が。。。
金閣の後を進むと銀河泉(ギンガセン)があり、
義満がお茶の水に使ったと伝えられており、今も清冽な清水が湧き出しています。
この滝は2.3メートルもの高さを一段落としにしたもので、
龍門の滝を鯉が登りきると龍に化するといわれる中国の故事登竜門に因んだ鯉魚石(リギョセキ)が置かれています。
いままさに跳ね上がらんとする龍の姿が、滝壷の所に斜めに傾いた動きのある石で表されています。
山路を登ると、夕佳亭(セッカテイ)があります。
江戸時代、傾きかけた金閣を復興し、池泉庭を修復したのが鳳林承章(ホウリンジョウショウ)でした。
修学院を造営した後水尾(ゴミズノオ)上皇の為に、承章が金森宗和(茶道家)に造らせたのが夕佳亭です。
宗和が好んだ数奇屋造りの茶席で、夕日に映える金閣が殊(コト)に佳(ヨク)いということからこの名が付けられました。
南天の床柱と萩の違い棚で有名な3帖の茶室です。
茶所 点出しをしています
もちろん頂いてまいりました
素晴らしい金閣でのひと時をあとにして。。。出口で青く輝く綺麗な鳥と出会いました
金閣からバスに乗らず、歩いて移動中に見つけた画廊
丁度「日本の桜」と題して個展が開かれていました
見事な作品にうっとり。。。
歩いて20分ほど 『龍安寺』へ
外人さんの団体客が大勢いました
方丈庭園(史跡・特別名勝)−いわゆる「龍安寺の石庭」である。
幅25メートル、奥行10メートルほどの敷地に白砂を敷き詰め、
帚目を付け、15個の石を5か所に点在させただけのシンプルな庭である。
近世の地誌類には、室町幕府に仕えた相阿弥の作庭と伝えるが、
作者、作庭年代、表現意図ともに諸説あって定かでない。
室町時代末期の作で特芳禅傑らの優れた禅僧によって作られたものとも伝えられる。
15個の石は、庭をどちらから眺めても、必ず1個は他の石に隠れて見えないように設計されているという。
しかし、中の部屋から1ヶ所だけ15個の石すべてが見える位置がある。
それは方丈の間の中心であり、15の石の配置は、ここを根元とする「二分岐構造」になっているという。
ただし、この程度の面積の庭に15個の石を並べれば、
そのうちの一つは隠れて見えなくなるのはむしろ当然のことだとする意見もあり、
これを表現意図とする考え方には賛否両論があります。
縁側の下を覗き込んだら赤いバケツがずらっと!
景観には問題がありますが、防火対策としては必要ですね。
縁側沿いに造られている「蹲(つくばい)」
中央の水口を中央を口の地に見立て、周りの4文字と共有し、
「吾 唯 足 知」(ワレ タダ タル コトヲ シル)と読みます。
これはお釈迦様が説いた、
「知足のものは、貧しといえども富あり、不知足のものは、富めりといえども貧し」
という「知足」(ちそく)の心を図案化した仏教の真髄であり、また茶道の精神にも通じています。
そしてこれは、徳川光圀の寄進とされています。
因みに。。。我が家の蹲も同じです。。。寄進ではございませんが〜〜(笑)
次に向かったのは『京の坂道 二年坂 三年坂』
別名、「産寧坂(さんねいざか)」ともいいますが、これは子安観音への安産祈願の参詣筋になっていたからだそうです。
それに連なるので「二寧坂」とも言われています。
二年坂・三年坂でつまずいたり転んだりすると、2年3年と寿命が縮むって昔聞いたことがあります
だから気をつけて歩いたわ〜(笑)
可愛いお土産屋さんがいっぱい。 猫が覗いてる置物も〜♪
小物はセメントでくっつけてあったわ(笑)
人通りが絶えることなく賑わっていました
そこから5分ほどで『清水寺』
仁王門前 撮ってもらったのを確認したら屋根が切れていたので、もう一度撮り直していただきました(笑)
清めのお水と 持ち上げて鐘を鳴らせば願いが叶うと書いてあったので持ち上げたら。。。
凄く重かったけど鐘が鳴ったよ〜♪
阿弥陀堂(あみだどう)江戸時代初期、重要文化財。
内陣には丈六の阿弥陀如来坐像を安置する。
法然上人が日本最初の常行念仏を修した所で、上人像も祀っている。
右は奥の院 江戸時代初期、重要文化財。
、「奥の千手堂」ともいい、本尊千手観音と脇侍地蔵菩薩・毘沙門天、二十八部衆、風神・雷神を祀る。
大きなリンを打ち鳴らしてお参りしてまいりました
百体地蔵堂(ひゃくたいじぞうどう)
釈迦堂と阿弥陀堂との間の奥に建つ。子どもを亡くした親たちが、子どもそっくりの地蔵を探しあてて崇拝を厚くし、
夏の地蔵盆会に賑う。なお釈迦堂北隣には西向き地蔵堂が建つ。
右は阿弥陀堂(あみだどう)江戸時代初期、重要文化財。
内陣には丈六の阿弥陀如来坐像を安置する。
法然上人が日本最初の常行念仏を修した所で、上人像も祀っている。
平安朝以来「清水(きよみず)さん」で親しまれてきた観音信仰の霊場で、
西国三十三所めぐりの第16番の礼所にもなっています。
伝承によれば、宝亀9年(778)延鎮上人が夢で観音様からお告げを受けたことにより開山し、
この延鎮上人に帰依した坂上田村麻呂が延暦17年(798)に十一面千手観音立像を安置するために
仏堂を建てたのが始まりとのことです。
本堂は「清水の舞台から飛びおりたつもりで…」という言葉で有名な舞台造りで、
139本の巨大な柱の組合せに支えられて断崖の上に建っており、さすがに高く、下を覗くとぞっとします。
『音羽の滝』本堂を下った所にあるささやかな滝で、長い柄杓に受けて飲むことができ、
右から長寿・健康・勉学に効くといわれていて修学旅行生達の列ができています。
お昼も過ぎ、境内にあるお休み処できつねうどんを賞味
食べたばかりなのに、香りにつられて又食べた〜。1個だけだよ(笑)
『国宝 三十三間堂』
本堂の内陣の柱間が三十三あるために三十三間堂と呼ばれていますが、
正式には蓮華王院という名の天台宗の寺院です
「 の写真撮影は禁止されているので紹介できませんが
その素晴らしさに圧倒され、時間が経つのも忘れてしまうほどでした。
もちろん初めて見たわけではありませんが、今回はじっくりしっかりと。。。
千体の中、124体は、お堂が創建された平安期の尊像、
その他が、鎌倉期に16年かけて再興された像です。
その約500体には作者名が残され、運慶、快慶で有名な慶派をはじめ
、院派、円派と呼ばれる当時の造仏に携わる多くの集団が国家的規模で参加したことが伺えます。
また、観音像には、必ず会いたい人に似た像があるとも伝えられています。
観音二十八部衆に風神・雷神を加えた30体の等身大の尊像が千体観音像の前に安置されています。
その30体は国宝であり、後ろの千体観音像は重要文化財です。
中でも玉眼を用いた彩色像は鎌倉時代の彫刻で、目が同じ木で彫られているのもは平安時代の技法です。
千体観音の中で、所々、場が空いている箇所があります
それは、違う場所や展示室などへ出張に行っているとのこと。 笑えますね〜。
また、観音像を正面から眺めたとき、目を伏せているように見えますが、
これは高いところから凡人を見下ろす姿のため伏せ目になっていますが
私たちが身をかがめて覗くと。。。ちゃんと目を開いて見ていらっしゃいます。
是非かがんで覗き込んでみてください。
これらの説明は、傍にいたタクシー運転手の説明を聞き耳立てて聞いていました(笑)
江戸時代、お堂西側の外縁では120mの軒下を一昼夜で何本の矢を射通すかという「通し矢」がさかんでした。
現在でも1月中旬に新成人たちによる全国弓道大会が催されています。
三十三間堂のお庭を散策したあと京都駅へ
新幹線に乗るまで少々時間があったのでデザートを(笑)
駅内で見かけた 見事な絵。 なんと、クレヨンだけで書いているんですよ〜〜!
ぼかしや細かい作業は指を使っています。
沢山の作品が並べられていましたが、2点だけ紹介(笑)
帰りはグリーン車ですよ〜♪
ゆったり広々。。。快適でした〜o(^o^)o
コーヒーのサービスも付いててご機嫌♪
名古屋に着いたら夕食時間
二日間お肉を食べていなかったので、名古屋名物「味噌カツ」をいただきました〜(笑)
京都観光熟女5人旅。。。いかがでしたでしょうか〜
また いつか どこかで。。。マリヤン。。。