2008年5月25日(日)〜26日(月)
昨年12月より仕事に入った議員事務所の定期総会一泊旅行です
3台の観光バスで100人以上、その副車両長として初めて参加
どんな旅になるのか興味津々でした(笑)
7時15分出発
途中サービスエリアで休憩を入れつつ、12時45分、お昼は長野IC『荻野や』にて≪栗おこわ定食≫
新緑の志賀高原ルートをドライブしながら休憩
ストーブが焚かれています! なんと気温は9度! 寒いはずです 雪が残ってる〜(笑)
16時頃
古き良き日本の温泉情緒の残る本格温泉地:草津
草津温泉で一番大きな 『ホテル桜井』
正面玄関には大きなお出迎えの看板が! 広い広いロビーです♪
そのままレセプションホール「パレルージュ」にて総会が始まりました
因みに私も役員の一人なので、壇上に上がっております(^^ゞ
会計報告や新年度の役員紹介や万歳三唱など行われました
その後 各部屋に分かれて荷物を置きに
後援会の方々とは違い、露天風呂付きお部屋を用意していただけました〜♪別名「隠し部屋」です(笑)
宴会まで時間があるので、近くを歩いて散策
情緒たっぷりの路地裏を歩きながら。。。目の前に現れたのは『湯畑』
硫黄の香りが一面に広がります
将軍御汲上の湯枠
湯畑の源泉の中に、四角に組まれた木の枠が沈んでいる。この木枠の中の湯を「御汲上の湯」と呼んでいる。
八代将軍吉宗や十代将軍家治が、この湯枠の湯を樽詰めにして江戸城へ運ばせたことは有名である。
現在残る湯枠は、八代将軍吉宗が汲み上げた際のものと伝えられている。
慶長元年(1596)徳川家康や、豊臣秀吉に勧められて、
草津の湯を江戸城へ運ばせて入浴していたことも、近年、文献によって明らかになった。
豊臣秀次や家康の正室朝日姫、また前田利家公なども草津温泉に入湯している。
足湯場もあり、一時の温泉気分を味わえます
湯畑から湧き出す温泉は高温のため、そのまま入る事が出来ません。
そこで、樋の中を通し空気に触れさせ温度を冷ましているのです。
昔の人が考え出した大きなラジエターと言ったところでしょうか?
硫黄分を多く含む草津温泉は、地中から湧き出した時は無色透明ですが、
空気に触れると白濁して湯の花が沈殿します。
「湯畑」の由来は樋に沈殿する「湯の花」が採れる畑と言うところから来ています。
樋の中を流れていくお湯は滝つぼ風に作られて
熱い源泉は湯気を立ち上げながら落ちていきます
湯滝の燈篭
草津温泉ならでは、まさに温泉の畑とも見える湯畑。
その流れ落ちる滝の流れえお遥か江戸時代・文政13年(西暦1830年)から見下ろすようにたっているのが湯滝の燈篭。
湯畑源泉が湧き溢れて、湯桶を流れて落ち込む崖の上の古色蒼然としたこの石燈篭は、
文政13年(1830)伊勢太々講中の人々によって寄進された。
この源泉の脇にあった不動堂の常夜燈である。
日本画家壇の巨匠川端龍子画伯が、若き日に五月雨の湯煙の中の石燈篭に感動して
「霊泉由来」と題する作品をのこして、当時、院展で樗牛賞を受け、画伯の出世作となった。
湯畑を巡回するレトロなバス♪
午後7時
大座敷宴会場にて懇親会
当然私には食べきれる量ではありません〜〜(^_^;)
食事の間 いろいろな出し物が
まずは「草津民謡ショー」と題して、ホテル従業員による民謡踊りが
そのあと、後援会のお一人で、踊りを習ってらっしゃるという男性が、女装をしての舞に拍手喝采!
おひねりも飛び出しました〜♪
その他沢山の方々のカラオケや大合唱で賑やかに終了しました
舞台上でビール瓶を割ってしまうハプニングもあったのですが、怪我人はなくほっとしました(^_^;)
その後一息ついて ホテルの催しスペースで『湯もみショー』が♪
従業員がお手本を見せてくれたあと、希望者を募って♪
もちろん私も参加♪。。。議員も奥様も駆り出しました(笑)
このあとやっとホテルの大浴場と露天風呂へ
大勢の人がいるのでカメラは無理(^_^;) ネットから拾ってまいりました(笑)
その後、各部屋やカラオケルームでも大賑わい。
誘われたのですが、奥様と二人でライトアップされていると聞いて、再び『湯畑』へ
昼間とは違い、幻想的な雰囲気と濃い硫黄の香りに包まれて。。。
湯の苔が緑色に光を放ち 湯気の中に吸い込まれそうでした
この路地を行くと「西の河原」へ続きます。でもこのとき時間は・・・0時
そろそろホテルへ戻らねば〜〜〜
お部屋へ入ってお茶を飲みながら・・・そこで思いついたのが・・・
あ、気にしないで。 おやすみなさい。。。(笑)