いそのかみじんぐう
平成22年1月17日(日)
今年も議員事務所の後援会行事として初詣に行ってまいりました。
バス2台で各方面へお迎えに行きながら御在所インターで合流
石上神宮
飛鳥から奈良へと続く日本最古の道「山の辺の道」の中間に位置しているここ、石上神宮(いそのかみじんぐう)は
飛鳥時代の豪族、物部氏の総氏神として、又大神神社と同じ日本最古の神社として有名です。
元々は古来朝廷の武器庫として物部氏が守っていたようです。
石上神宮楼門(重要文化財)
楼門の棟木に「文保二年(1318)卯月二十九日、右奉二為 聖朝安穏 天長地久 社頭繁昌 興隆仏法 郷内泰平 諸人快楽一 所レ造如レ件」の墨書銘があり、
鎌倉時代末期、後醍醐天皇が即位された頃の建立である。
建築は、桁(けた)行二間二尺、梁(はり)間一間五尺、重層、入母屋造、檜皮葺(ひわだぶき)で上層は和様三手先、下層は二手先に組み、
斗供間の蟇股と柱頭の天竺様の鼻の繰形に優れたものがある。
柱は円柱で、全体の恰好も美しい。
この楼門を一名鐘楼門とも称え、縁起書に
(「楼門に洪鐘一口を懸、四天王像を鋳あらわせり、楼門前に鶏栖(けいせい)あり、岩上大明神の五大字を題す」)と記し、
氏子有事の際、この鐘をついてしらしたようである。
石上神宮拝殿(国宝)棟札六枚付
楼門をくぐり奥に進むと拝殿が見えます。さらにこの後ろに本殿があるのですが、禁足地であり一般に立ち入ることはできません。
もともとは大神神社のように本殿はなく、拝殿からその背後の禁足地を遙拝し、
禁足地には主祭神である神剣布都御魂が安置されていると伝えられてきました。
明治時代に禁足地を発掘し、剣一振(素鐶頭太刀そかんとうのたち)が出土したのを期に、
これを布都御魂(ふつのみたま)として、本殿が造営されました。
御祈祷を上げていただくために全員が拝殿の中へ。
ありがたい御祈祷を頂いたあと、境内の真っ白なニワトリたちにご挨拶。 その後座敷へ。
宮司様からお言葉を頂き、来賓・議員の挨拶。 去年は玄関で招いてくれた亀さんは座敷に鎮座されてました♪
神様の御下がりお神酒です。 お食事もおいしく頂きました。
こちらは去年のお弁当。 ほぼ同じですね^^
食事後 境内を散策
山の辺の道は、大和平野の東側の山麓にある。
鹿道や兎道のようなものでなく、必要によって人の踏みかためた特定の道である。
道に向って、四世紀ごろの大型前方後円墳がいくつか造られ万葉の歌で織りなされた道を歩いて行くようなものである。
うっそうとした杉木立にかこまれた鏡池は,静かに水をたたえる。古くは石上池とよばれていました
鏡池に、奈良県指定天然記念物の淡水魚馬魚(ワタカ)が棲息しています。
山の辺の道には多くの物語があり歌があり歴史の宝庫である。
バスから降りてしばらくしたら 忍者が現れた(笑)
↑↑動画もあるよクリックしてね♪
火薬の製造技術が敵方のスパイに盗まれないために、
典型的な忍者屋敷では、わなを仕掛けたり、からくり廊下を使って防御していました。
忍者屋敷は農民の住まいそのもので、そこに「どんでん返し」「抜け道」「隠し戸」「刀隠し」などの仕掛け・からくりを備えていました。
ここではくノ一(女忍者)が皆さんを屋敷の隅々まで案内し、室内に仕掛けられた数々の仕掛け・からくりを実演して案内してくれます。
さまざまなカラクリにお客さんの声が上がります 展示室も珍しいものばかりでした
鎖帷子(くさりかたびら)布・鉄でできています。
戦向きではなく、重さを利用して跳躍力 修行に用いたそうです。
着用させてもらいました♪
上野城前で記念写真撮ろうと思ったら・・・修復中でした(>_<) 帰りはこの混みよう・・・まだ空いてきた方です。
名古屋から奈良まで日帰り特急(笑)
とても寒くて この日の午後から声が出なくなり 風邪に突入して休暇を取ることに(>_<)
インフルエンザじゃないから大丈夫で~~す(笑)
いつも見て下さってありがとうございました(^O^)/
。。。マリヤン。。。