平成26年5月22日(木)
今年も学区保健委員会主催の施設見学会に参加しました♪
今年の「ジュンちゃん号」はリニューアルしました(^o^)
コミュニティーセンターを9時ごろ出発した23名
まずは・・・豊田市へGO!
9:50
世界のTOYOTA会館本社へやってきました!
2000GT 懐かしい~~~欲しい~~という声も聞こえてきますね。
偶然ですがつい最近、ラジオで2000GTの話を聞きました。
MCの話では、当時「コント55号」のマネージャーをしていた人が、いずれ企業を立ち上げて社長になり
その時期、この2000GTの真っ赤を所有していたとか。
社員たちに無償で貸したり、夜の街へ乗り着けて大変もてていたと。
で、近年オークションに出したら・・・
なんと1億円以上の値が付いたそうです!
真っ赤な2000GTは日本では1台しかないそうで、この値が付くのも納得だと言ってました。
007でも使用されたほどですから凄さがわかりますね!
パートナーロボットのトランペット演奏や 一人乗り用未来ビーグル など興味津々ヽ(^o^)丿
環境と古紙のリサイクルについて、楽しく学べるショールームです。
コースに従ってすすんで行くと、資源回収の大切さや古紙リサイクルの仕組みが楽しく自然にわかります。
紙の歴史についてのビデオも楽しく分かりやすく見ることができます。
紙の起源は、約5000年前の古代エジプトで使われた「パピルス」だと言われています。
でも、パピルスは紙の一種ですが、植物繊維から作る今の紙とは違うものです。
現在の紙の原形となったものは、紀元前2世紀ごろ、中国の漢の時代に発明されたものと考えられています。
中国で発明された紙づくりの技術は、交易などを通じて東西へ広まっていき、
西は、シルクロードを通ってアラビアに向かい、イスラム教徒によりスペインやイタリアに伝わりました。
日本に紙の作り方を伝えたのは5世紀ごろ、高句麗(現在の北朝鮮)からやって来た、曇徴という僧といわれています。
でも実際に国内で紙を生産するようになったのは7世紀(聖徳太子がいた飛鳥時代)のことで、主に法律やお経を書き写す道具として使われました。
江戸時代には、コウゾやミツマタなどの皮を原料とする「手すき和紙」の作られる量が増え、庶民の手にも広く行き渡るようになりました。
和紙は強さと美しさの点ですぐれており、浮世絵や屏風絵から、障子やふすま、傘や提灯など洋紙が現れるまで、生活のいろいろな所で活躍してい
ました。
その後、明治維新をきっかけに製紙技術も西洋から日本に入り、1879年までには民間の製紙会社6社が洋紙の製造を開始しました。
1880年代には国民の生活にも洋風のものが取り入れられ新聞や本の発行が盛んになり、教科書が和紙から洋紙に変わるなど、洋紙の使用量が急増していきました。
大正から昭和にかけて、現在のような新聞が各家庭でも読まれるようになり、文化の水準も高くなり、
そのためたくさんの紙が使われるようになり、印刷工業と共に製紙工業も大いに発達したのです。
そして第二次世界大戦後、人々の暮らしが豊かになると共に製紙技術もいっそう発達し、
現在、日本は世界でもトップクラスの製紙技術をもつ、世界第2位の紙の生産国となっています。
いかがでした?
少しだけ、一緒に施設見学した気分になったでしょうか?
見ていただいてありがとうございました♪